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私が生まれ育った所は、長崎県五島列島の北側から二番目の島“小値賀町”です、小値賀本島をはじめ、斑島、大島、納島、六島、野崎島、他多くの島々から小値賀町が形成されています。人口は2010年に約2,950人、1980年には約5,700人の人が住んでいましたが30年で約半数に減っています。もちろん高齢者の人口割合は高いです。
私は高校卒業まで島で生活していました、今もそうだと思いますが、当時は出来の良い人は中学を卒業と同時に佐世保や長崎市内の高校へ進学して行きます。
まあ出来の悪い人は島の高校に行くしか無かったのです。高校を卒業するとほとんどの人が島を出て行きます誰から言われるわけでもないが自然と高校を卒業したら、島には残らないものだと思っていました。私も兄姉が福岡に住んでいましたので、福岡に行こうと決め福岡で働き始めました。実家に長男家族が居ますが、4人の子供もみんな島を出て行って、それぞれ仕事をやっています。
小値賀の主な産業は、漁業、農業です。私の家は農家でした、周りの家もそうですが農村です、兄は船を持ち漁師もしていますが、父は農業で生活していました。米、スイカ、えんどう豆、芋などを作り、養蚕をしていた時期も有りました。稲刈りが8月中旬、盆明けから始まり、一週間から二週間手伝いをしていました、ちょうど夏休みで、他の人より夏休みが短く感じたのを思い出します。
それともう一つ大きな収入源は、父の出稼ぎによる収入でした。農村地区の周りの家もみんな同じような生活です。物心付いた時から変わらないので不思議に思うことなく、自然の生活です。父は11月に島を出て、3月終わり、田植え準備前に島に戻って来るのです。正月も帰らない時も有ります。一家の大黒柱が留守の間は、母が一人で子供の面倒を見ます。出稼ぎで何の仕事をするかと言うと酒造りです。九州各地の造り酒屋に行き、杜氏、蔵人(蔵男)として、日本酒造りをするのです。“小値賀杜氏”として多くの人が出稼ぎに行っていました。日本酒を造る人を蔵人(蔵男)と言いますが、その中の長を“杜氏”と言い、職人の最高責任者として、蔵元からいっさいの責任を任されて、作業を進める中心的な存在です。私の父も約50年間、小値賀杜氏として酒造りに従事して来ました。最後は佐世保市の梅が枝酒造で働いていたと思います。ほとんど家では酒を飲まない父でしたが、家族の為に長い間がんばって来たと思います。
現在では酒造りの形態も変わり、小値賀からの出稼ぎもほとんど無くなっています、小値賀杜氏も消滅の危機です。近くでは二日市の大賀酒造さんで小値賀の杜氏さんが働いています。毎年三月に酒開きが有り、小値賀の特産物販売も行っていますので、足を運んで見てください。
近年では、小値賀は観光に力を入れています、民泊や音楽フェスティバル、なんと関西、関東から修学旅行まで数多くの観光客が来島しています。インターネットなどで簡単に情報が見れますので、小値賀で検索してみて下さい、気に入ったら一度行ってみてはいかがでしょうか。

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