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seto-2年月が経つのは早いもので、私が節句業界に入りまして早5年が経過いたしました。節句人形の専門知識も乏しく、今までよくお客様に羽子板をお薦めしてこれたものだと、振り返るこの頃です。
先日、改めて羽子板の由来を勉強致しましたので、皆様にご紹介させて頂きます。江戸時代、大名や公卿などの間では、女の子が生まれた家に初正月の祝いとして、相手の家紋を表面に付けた美しい飾り羽子板を贈る風習があり、この金銀の箔を押すなど、精巧な細工をこらした羽子板が佐義長(さぎちょう)羽子板です。羽子板を贈る風習は、やがて町人の間にも広まりました。
年の暮れに市中のあちこちで立つ羽子板市は、江戸の名物にまでなりました。特に後期の江戸で生まれた華やかな押し絵羽子板は庶民の人気を博し、関西地方にまで広がりました。
羽子板には、観賞用の絢爛豪華なものと、実際について遊ぶための簡素なものとがあります。羽根つきは新春の遊びとして親しまれ、女の子の間で盛んに行われました。羽根つきは、もともと新春の災厄よけのまじないから生まれた遊びです。中国に生まれ、室町時代に日本に渡来したと考えられていますが、江戸時代には、正月に羽根つきをすると夏に蚊に刺されることがないと信じられていました。この羽根つきは、江戸の女の子が楽しむことを許された唯一のスポーツでもありました。観賞用の押し絵羽子板は、初正月の祝いとして贈られただけでなく役者の似顔絵のついたものなどは、現代でいうスターのブロマイドのように女性たちの大切な宝にもなりました。

seto-3現在の羽子板は、子供の初正月としての役割が全てのようになっておりますが古くは、さまざまな使われ方をしていたようです。今年は、接客時にこの豆知識を活用しようかと考えています。最後に、羽子板に少しでもご興味を持たれましたら、シーズン中は当店にて沢山さまざまな物を展示しておりますので、ご見学にお越し下さい。