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私の生まれ育った志免町についてお話したいと思います。
なんといっても町のシンボルに竪抗(たてこう)があります。
ご存知の方もおられると思いますが、石炭を掘り出す為に建設された櫓で国の重要文化財に指定されています。

終戦前の1943 年(昭和18 年)に櫓の部分が完成(地上高47.65m)し、最終開削(地下)ではその高さの約10 倍の430m まで達する竪穴になっています。
また、終戦前に建設され現存している竪抗は非常に珍しく世界に3 つのみで志免炭鉱のそれと、龍鳳炭鉱(中国)、トランブルール(ベルギー)だけだそうです。

昔、石炭は石油や天然ガスに依存するまでは重要なエネルギー源でした。
私の幼いころも風呂を沸かす燃料で、風呂焚きの手伝い(邪魔?)をしては手足が真っ黒になり両親に洗ってもらった事を思い出します。

時代と共に石油や天然ガスに押され1964 年(昭和39 年)志免炭坑は閉山に。
当時は勝田線(宇美町勝田~吉塚)もあり、1985 年(昭和60 年)に全線廃線となるまでの一時代は石炭を運ぶ重要な役割を果たしていた様です。
私も廃線までの2 年間は通学に使用したものでした。
現在では線路伝いが所々遊歩道に整備され、志免駅跡は鉄道公園として残っています。

小学生時代には「探検、行こうぜ」と言っては立入りを禁止されているにも関わらず有刺鉄線を掻い潜り、肝試しにも似た格好の遊び場で竪抗内へ入って足場の腐った階段を登れる所まで上ったものでした。
今思えば、その高さにぞっとしますが当時は怖いもの知らずでしたね。

また、学生時代に地元人との会話の中で「ボタ山」の名前が頻繁に出ていたらしく当時、関西から来ている友人に「その山ってどこにあるの?こっちで有名な山なの?」と聞かれた事がありました。
彼にして見れば炭鉱とは無縁な地で育ったため、まさかボタ山が石炭発掘で出る捨石の集積場とは思わなかったのでしょう。
現在では竪抗の周りも公園に整備され近場から見上げる事も出来ます。
興味のある方は志免町HP から竪抗内部(360 度パノラマで)を見られるサイトもありますので是非、ご覧になってください。
http://www.town.shime.lg.jp/360/

以前、大分むぎ焼酎二階堂のCM に映像が流れたり、風格のあるその立ち姿は一種独特で時間が止まった様にも思え、今でも古き昭和時代へタイムスリップさせてくれる存在です。