かぶと頭 子供の頃から鎌倉に行く時は探検心も手伝い、5,6人の仲間と連れ立って
朝比奈切通し(※1)4頁⑤:かぶと塚 朝比奈切通を抜けて行ったものです。鎌倉時代、鎌倉の和賀江湊(※2)は物資供給地であったのですが、船舶の着船には不向きであったため、六浦方面の湊が天然の良港とされ、幕府はこれを鎌倉の外港として東国(※3)や中国大陸との物流の拠点とした様です。また、六浦荘は幕府の要人北条実時の所領で、鎌倉と六浦を結ぶ道の整備が早急な課題であり、この切通しが生まれました。朝比奈切通しは未だに当時の生活道路の名残があり、鎌倉時代の人々が荷車を押して往来して行く姿が思い起こされます。1969年6月には重要な史跡との理由で国史跡に指定されたため、幸運にも当時のままの姿が残り、季節の移ろいに合わせた自然美を楽しみ、岩肌のあらわな道を歩くハイキングにはうってつけな切通しとなったのです。朝比奈切通しは素晴らしい道で、友人を誘い切通しを歩くと、「圧倒的な迫力だ」「これぞ切通しの本命だ」「感動した」等の言葉を異口同音に発します。これだけ感動できるのは、道に歴史があり、その時代の生活の息吹が感じられるからに他ありません。
 4頁⑤:かぶと塚 称名寺この切通しを抜け、国道16号線の旧道を行くと金沢北条氏一門の菩提寺で、実時の持仏堂から始まった国指定史跡「称名寺」と実時の私設文庫で国宝・重要文化財が収蔵されている「金沢文庫」があります。称名寺境内と周辺の山々は少年時代の私には絶好の遊び場で、裏山を駆け回り、あけびや無花果を食べ、手ごろな枝を見つけてはチャンバラごっこ、裏の洞窟への探検と楽しい時間は尽きることを知りませんでした。称名寺の庭園は「浄土式庭園」で浄土の世界をこの世に再現しようとし、阿字ヶ池を中心に此岸と中之島を結ぶ反橋は過去から現在までの苦労を表し、中之島から平橋は仏の教えを守れば彼岸(弥勒浄土)に安らかに行けることを示しているのです。春には桜、梅雨時には紫陽花が、9月には真っ赤な彼岸花が、秋には銀杏が黄色に染まり、山々が紅葉に色づいて美しくなる様を祖母は「天国はこの様な所なんだよ」と教えてくれました。

 金沢文庫には、学問を愛した実時の遺志を継いだ顕時、貞顕によって膨大な古文書が多く残されており、現在は中世歴史博物館として我々を惹きつけます。この地は風光明媚で豊かな史跡が多く、子々孫々に大切に残しておくべきものとして、重要視されております。

※1切通し(きりどおし):山や丘などを掘削し、人馬の交通を行えるようにした道。
※2湊(みなと):港湾、古くは港湾施設のうち水上部分を「港」、陸上部分を「湊」と呼んだ。
※3東国(とうごく):近代以前の日本における地理概念の一つ。主に関東地方や東海地方を指す。