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 よく人生は旅や航海、登山に例えられることがあります。また、人生は、夢、目標(目的)希望、大志を持てとも言われます。今回の寄稿依頼を受けまして、取りとめもない人生や余暇を、過ごしてきましたので、いざ机に向かって何を書けばいいのか迷いましたが、わが人生を振り返り、ターニングポイント(節目・分岐点)等について述べさせていただきたいと思います。
 第一は、高校進学時に遡ります。父親が退職し高齢を理由に工業高校又は高専を望んでいましたが、大学まで進学したく担任の先生の親への説得で、普通高校に行けました。
 第二は、大学進学時です。高校3年秋まで仲の良い同級生と国立文系クラスで授業を受けていましたが又父、親戚の勧めで急遽理系受験に変更し、数学(数Ⅲ)を独学することになり、あえなく失敗し、他の国立文系(経済)に入学卒業。((国・英・数)得意だったので文系・理系に迷いがあり決断できなかったのが自分自身の欠点でした)
 第三は、就職時です、本心は大学院へ進学したかったのですが、父親の希望を聞き入れ長男の為、商社内定もあきらめ、地元の銀行に就職しました。(これまでは、高齢の父の希望を聞き入れましたが、その後は自己決断です)。
 第四は、結婚です。地元大牟田での銀行員生活2年が過ぎた頃、幼馴染みと偶然であい、しばらく交際をしました。
半年もたたないうちに下関へ転勤し、相手は結婚を意識し始めていましたが、当時は携帯電話もなく遠距離交際がとぎれました。間もなく父が大腸癌となり、毎週末自動車で入院先の大牟田の病院まで見舞いの往復となりました。
下関の取引先の社長と仲良く成り職場の同僚を経由して、娘との縁談の話が持ち上がり、来年結婚するからと父を励ます為に同伴で帰省することになりました。その甲斐もなく手術後2ケ月で他界しました。(亨年66歳、小生26歳)
 翌年結婚その後、義父の希望もあり先方の家業(削節、出汁の素、塩干物製造販売)の後継者の話が、出ましたが、実母の反対で実現することなく銀行員生活が続きます。
 第五は、転職の話です。42~3歳頃、長い取引のIBMの同年代の友人からソフト会社設立の話を持ちかけられました。
(入行5年目の冬から転勤でシステム部勤務中)かなり考えましたが決断できず、60歳まで銀行にお世話になりました。

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 リタイヤ後は、不動産関連企業に3ケ月、ノンバンクに2年半、そして現在の会社のお世話になり5年目を迎えています。
普通は、退職後も銀行からの斡旋を受けるOBが多いのですが、自分で探し、決断行動をして参りました。
週3日勤務にしていただき、火曜・金曜日はボランティアで小学生に下校時の防犯パトロールに参加し早5年経ちました。
 本当は、リタイヤ後10年間マレーシアのロングステイを検討していましたが旅行代理店とのスケジュールがあわず、2度現地訪問しましたが、ペナン等周辺も予想以上に汚く断念しました。IBMの友人も独立しソフト会社を経営していますが、その後もお付き合いは続いていました、2~3年前からフィリピンに別荘を持ち3ケ月間隔で日比間を往復しています。
お誘いを受け今年フィリピンを訪問しました。若手の人口は多いのですが、所得は低く、4大卒の女性もスーパーのレジ担当程度の仕事しか有りません。教育さえできれば外国での就職または、国内での起業チャンスもあると思います。
退職後は、現地の人へボランティアで英語で日本語を教えてあげたいと考えています。

 ターニングポイントは色々ありましたが、小生の結論は、将来はまだ分かりませんので、先達の意見等を参考にし、余りころころ代えない方が良いと考えます。フラフラ人生はこれまでです。夢は続くものと理解しています。
実家は遠く自分たちの墓は香椎の三日月山に6年前新たに設けました。家内と相談のうえ、墓標には「夢」とかきました。
夢の途中であの世でも夢を見たいと思います。