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「がたがた言わずに親の言う事聞け!」「どうして?」「親やけんたい!」ガツン!「…」子供のころこんな会話というか、説教をよくされたものです。
 幼稚園、小、中、高、大学その中で学問として学ぶ事、大なり小なりのコミュニティを通じて経験の中から学ぶこと卒業して社会に出て学ぶ事、結婚して子供が出来て子育てを通じて学ぶ事、あるいは気づく事があります。つまり、最初に戻るがあの時親父おふくろから言われた事が今になって解るケースについてです。タイムラグがあって、そのありがたみや意味がわかるのです。
 大義があってはじめたわけではないですが、5年が経過した新規事業(環境循環型農業、無農薬栽培、オーガニック)を通じて気づいた事、無農薬でつくる事の苦労、商売の難しさ、出来た野菜のおいしさ、食べてもらう喜びを実感し「いただきます、ごちそうさま、ありがとう」の意味がはじめて本当に理解できます。誤解してほしくはないですが、「野菜は無農薬でなければならない」なんて思っているわけではないし、ここで言うつもりもありません。しつけられて意味を理解していなくとも当たり前に言ってきた「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」のおかげで人間関係がうまくいき豊かな人生をおくることができているのです。
 昔の運動部には理不尽な説教やしごきがありました。なかには、私のように自分がされて嫌だった事は後輩にはしないという稀な人間もいますが、大部分は低学年の間はじっと耐える「今にみとけ」、後で仕返ししたる、あるいは自分が最高学年になるまでの辛抱この考えが大半でしょう。今回は、そこではなくてそのしごきに耐える事が出来たので今があるとか少々の苦労は耐える力をいただいた 地獄の日々に感謝(笑)という話です。
 法律や学校、先生のせいとかいう前に、親子という最も身近な、しかも利害関係抜きで向き合う場所や時間の使い方が最近の未成年による不幸な事件の大半を防ぐ事ができる気がしてならないのです。