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私の住む北九州市小倉北区の中心部に近い常盤橋(現在のリバーウォークとJR高架橋の間)という橋があります。この橋は、江戸時代初期に小倉の城下町の町人と武士の地域を結ぶ重要な橋として架けられたもので、現在では九州の日本橋と呼ばれ、九州の街道のほとんどの起点となっている場所です。この常盤橋を起点としている街道の一つに唐津街道があります。この街道は、小倉から若松、芦屋、赤間、畦町、青柳、箱崎、博多を経由して唐津へと続く道で、古くは遣隋使、遣唐使の時代にその使節団が大陸文化の導入の為にこの街道を利用していました。その後、戦国時代になると、豊臣秀吉が九州征伐の為に軍勢を率いていたことや、朝鮮出兵時に唐津街道の執着地付近の呼子に名護城を築き、そこから全国から諸大名武士が終結するために利用していたそうです。また、江戸時代になると、福岡藩、唐津藩が参勤交代の大名道として活用し、幕末の頃には西郷隆盛や高杉晋作などの多くの志士達が盛んに往来していたとされています。

tanaka_k_2ここでもっと身近な地元の話になりますが、私の住む家の近所である北九州市小倉北区の日明地区には、学生時代に良く通っていた一風変わった名前の坂があります。周辺の住民の方は、それを「きんたま坂」と呼んでいるのですが、実はこの坂が先に紹介しました唐津街道(現在は国道199号)へと繋がっている坂として周辺住民からは利用されてきました。名前だけ聞けば、少々不謹慎な名前をしていますが、坂の途中にそのことを証明する地元のまちづくり協議会の看板がきちんと立っているのです。坂の名前の由来は諸説ありますが、有力なのは次の2つだといわれています。荷役に従事していた人々が物を運ぶ途中にこの坂の近辺で休憩することが多く、その際にふんどし姿だった彼らのふんどしの横からナニがはみ出していたことからそう名づけられた説と、この付近で決闘があった際に一方が大事な部分をたくさん打ち付けられて敗れたという説があるそうです。他にいい名前があっただろうにと思ってしまう程呆れてしまいました。
私の身近な名所として今回紹介した「常盤橋・唐津街道」と「きんたま坂」はその規模や知名度では全く異なるもの同士ですが、長年に渡り地域住民に親しまれて利用され続けてきたこと、そしてその歴史が語り継がれてきた点についてはどこか共通しているところがあるように見えます。
皆さんの地元にもまだ知らないそこだけにしかない言い伝えや歴史的建造物が町のどこかに存在し、思いがけない発見があるかもしれません。一度、自分の住む町を散策してみてはいかがでしょうか?